奄美・瀬戸内町・久慈集落に移住。

移住しました

わたくし、伊藤仁は、2018年11月に奄美大島・瀬戸内町・久慈集落に夫婦揃って移住しました。
京都に生まれて、小学校から高校生までは滋賀県育ち、京都嵯峨美に通って、それ以来10年ずっと京都でしたが、ついに、引っ越しました。

奄美大島はご存知だとは思いますが、おそらく瀬戸内町はあんまり知られていないと思います。
奄美大島は、北部(笠利)に空港があり、一番の繁華街である名瀬港もだいたい中央よりも北。僕が移住した瀬戸内町は南の端っこ。島の南の端っこといって、侮るなかれ、奄美大島は、広い。空港から、瀬戸内町の中心部である古仁屋まで、車で2時間超。超遠い。
瀬戸内町は、古仁屋を中心にして、海沿いに集落が点々とあり、久慈集落は、古仁屋から車でさらに40分かかります。ほんと遠い。

その小さな集落に移住しました。
人口が約90人、瀬戸内町の公式サイトのデータですが、もうすこし少ない印象。たぶん、家だけ、住民票だけある人が結構混ざってる気がします。
漁港の隣に海沿いの公園があり、そこで集落のおばあちゃん、おじいちゃんが6人くらいでゲートボールをしていました。
そして、通りかかると、手招きされ、ゲートボールやってみるか?と声をかけられるくらい、明るい。
正直、限界集落とか、日本のとんでもない田舎ってちょっと暗い印象があったのですが違いました。。全然人なつっこく、初対面で冗談を放つくらいに明るい人たちばかり。ここが南国の島だからか、日本全国意外とそうなのかはわかりませんが、島の空気がそうさせてる気がします。文化。

久慈集落、奄美独特の文化というか、風土については、これからどんどん勉強して、ここで報告できればいいなと思っています。

一つだけ、エピソード。
引っ越してきた日、集落の区長さんにご挨拶。一通りのご挨拶と、集落の話なんかを聞いて、次の日の昼頃に引っ越しの荷物を受け取る予定だという話をしました。集落の人たちが手伝うから、と言われましたが、どうやって手伝うんだろうか?トラックの音でも聞きつけて、来てくれるんだろうか、とか思いつつ。
その次の朝、七時に集落中に聞こえる放送が入ります。朝の放送は、まあまあ毎日恒例で、区長が自らお話しなさるのですが。その放送で、「昨日からいとう夫妻が移住されました!今日の午後、引っ越しの荷物が来るそうなので、みなさんこぞってお手伝いを」という内容の話が!朝七時に、あ!これ!俺らのことや!と飛び起き、ソワソワ。
結局、引っ越し業者から、午前中に前倒していいか?という連絡が急に入り、区長に報告する間も無く、引っ越しの荷物が到着。向かいの家の方、区長ご夫妻が急いで手伝いに来てくれました。なんとありがたい。小一時間で作業終了。あとは自分で片付けますよー、とみなさんに御礼を言って、なんとか完了。
その中で、区長さんが、すごく悔しそうに「本当は集落総出で手伝いたかったのに」とおっしゃっていました。

まあ、面倒っちゃ面倒で、おせっかいというか、ありがた迷惑なところもありますが、集落を少しでも気に入ってもらおうという気持ちがすっごく伝わって来て、感動しました。というエピソードでした。

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